★ ★ ★ マークスの山・実証見聞  ★ ★ ★



『マークスの山』を再読していて 「『マークス』に出てくる山々は実際どんな感じの山なのか?」 と思い、ちょっと調べてみた。




 
~ 北鎌尾根編 ~

で、『マークスの山』に出てくる山の1つが《北鎌尾根》

そんでこれが《北鎌尾根》の写真。
      
北鎌尾根

合田さんと森くんの会話から推測すると、林原の事務所に掛かっていた『北鎌尾根』の写真はこんな感じか?
ちなみに『マークスの山』単行本と文庫本では改稿されていて微妙に表現が違ってます。
(※下記参照)


《マークスの山・単行本より》
 「『北鎌尾根一九七〇年』ですか」
 「ああ。山には一人では登らへんからな。普通は数人のパーティで行く。ところで、事務所にあったその写真やが、それ、額縁に入っていたのか?」
 「そうです。大きさはこのくらい・・・・です。」(と森は手と腕で示した。)
 「四つ切だな。本物の写真か」
 「ええ。カラーの色がだいぶ褪せていました」
 「北アルプスの槍ヶ岳は、見たことあるか?」
 「いえ」
 「鋭い三角錐で、ピンと尖って天に突き出している山だ。尾根から突き出している。北鎌尾根は南北に伸びているが、その南の端にある。写真は、尾根を東西のどちらかから撮った写真だと思うが、ピンと尖った山が写真の右にあったか左にあったか、覚えているか?」
 「左だったと思います」「どこかで北アルプスの写真を探して、確認してみます」

《マークスの山・文庫本より》
 「林原も山岳会なんですか?そういえば事務所に山の写真が一枚掛かってましたけど」
 「それ、ほんとうか。どこの山だ---------」
 「北鎌尾根。一九七〇年夏、林原雄三撮影。プレートにそう書いてありました」
 「北アルプスの槍ヶ岳は見たことあるか?こういう三角錐のかたちをしていて、尾根からひときわ高く突き出している。-----ほら、この南北の稜線が北鎌尾根。地図上では、槍ヶ岳はこの尾根の南の端にある。君の見た写真の尾根に、この尖った山があったと思うんだが、尾根の右のほうにあったか、左のほうにあったか、覚えてるか?」
 「左の端だったと思います。何なら、明日また実物を確認してみます」
 「左か-----。だったら、北アルプスの表銀座縦走路にある山小屋のどこかに、林原の足跡が残っているかも知れない。一九七〇年の梅雨明けの七月、八月の表銀座----」


合田さんの「槍ヶ岳は鋭い三角錐で、ピンと尖って天に突きだしている山だ。北鎌尾根は南北に伸びているが、その南の端にある。そのピンと尖った山は、写真の左にあったか、右にあったか?」との問いに「写真の左にあった」と、森が証言していたから、林原の事務所に掛かっていた写真は、こんな感じだったのでは。

北鎌尾根


そういえば山梨県警の佐野警部が、合田さんのことを山に例えて

《マークスの山 単行本53P》
「同行の巨漢の刑事がひたすらでかい仙丈ヶ岳の山塊なら、こちらは北穂・槍ヶ岳間の大キレット、あるいは北鎌尾根の垂壁だ」

《マークスの山 文庫本・上巻 91P》
「自分が連れてきた巨漢の刑事がひたすらゆったり構えた仙丈ヶ岳の山塊なら、こちらは奥穂・槍ヶ岳間の大キレット、あるいは北鎌尾根の垂壁だ」 

と、言っていました。   合田さんって、こんな ↑ 感じなのか?


※写真はWikiより拝借



 ~ 涸沢小屋編 ~

『マークスの山』で、森くんが捜査の為に登った《涸沢小屋》

右下に見える小屋が《涸沢小屋》らしい。・・・小屋と言っても思ったより大きく立派。
山小屋って、もっと小さくてボロいんかと思っていたが。
そして、《涸沢小屋》の後ろにそびえ立つ山が《北穂高岳》だそう。
                 
北穂高岳と涸沢小屋


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《マークスの山 文庫本・下巻 33P》
森のほうは、富山から『PM2:25 剣沢小屋管理者が昭和五十年代の資料保存。早急な調査を要請済み』、長野から『PM5:10 涸沢小屋に昭和四十年代からの資料有り。明朝、上高地から直接現地へ確認に行きます』と知らせてきていた。これには合田はちょっとびっくりしたが、梓川沿いに徳沢から横尾、吊り橋という一般路なら、ビジネスシューズでも何とかなる。いくら仕事しか頭にない男でも、ナナカマドが真っ赤に染まった一年で一番美しい涸沢の景色くらい、目に焼きつけてくるだろうなと思った。 

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《涸沢小屋》とその周辺の紅葉。 紅葉は(たぶん)ナナカマド。
右端に小さく映っているのが《涸沢小屋》だろうと思われる。 上の写真はたぶん夏なんだろうと思う。
              
涸沢紅葉


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《マークスの山 文庫本・下巻 100P》
森は、苦労して登ったのだろう涸沢小屋で昭和四十年代からの古い台帳の綴りを片っ端からめくり、林原・松井の二つの名前を残らず捜し出して書き写していた。 

《マークスの山 文庫本・下巻 141P》
三日ぶりに見た森の顔は山の空気が合ったのか、顔色だけは見違えるように艶やかに変わっていて、合田はちょっとハッとした。しかし、一言声をかけようとした肝心の言葉が出てこず、口を開いたのは森のほうが先だった。 

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捜査を外されてイジケ気味だった森くんですが、合田さんの助けもあり、(仕事とは言え)山に行ってちょっと気分転換出来たようですね。
涸沢の一面ナナカマドが真っ赤に染まった風景を観て、お蘭は何を思ったやら・・・・。
もしかしたら、この頃から本庁を出て島へ行くことを漠然とながらも考えていたのかな?

ちなみに、この《涸沢小屋》のくだりは文庫本のみです。
単行本には、森くんが捜査の為に単独で山へ登るシーンはありません。

森くんが登った《涸沢小屋》 & 合田さんが言っていた「ナナカマドが真っ赤に染まった一年で一番美しい涸沢の景色」は、こんな感じだったのでは。



※写真はWikiより拝借



 ~ 北岳編 ~


『マークスの山』ラストを飾るのは、合田さんと森くんの北岳登頂。
殺人犯・水沢を生きて逮捕するために、山岳救助隊、機動隊らと共に悪天候の危険な北岳に登ります。


北岳 (2)
戸部巡査部長、山岳救助隊と共に、合田さんと森くんが登った北岳。 


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《マークスの山 単行本 436P》
班分けが終了する前に、合田は救助隊の一斑とともに大樺沢の登山口へ飛び出した。重量六キロの防弾チョッキの上に、借り物のアノラックとゴアテックスの雨具の上下を付けただけの軽装だった。自分や救助隊員のペースに森がついてこれるとは思わなかったが、森が「行く」というので好きなようにさせた。「自分の心臓とよう相談して、もうあかんと思うたら、そう言え。無理するな」とだけ言っておいた。 

《マークスの山 文庫本・下巻 386P》
「森! 俺たちは走るからな。ついてこられない場合は無理するな」それだけ森に言って、合田は戸部らとともに山荘を飛び出した。まだ暗い雪をついて二百名の捜査員が一斉に動き出した。 

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広河原
広河原。 北岳に入山した水沢を追うために、県警200名の捜査員と、合田・森が集結した場所はココか。


八本歯梯子2
八本歯の木梯子・その1。 森くんが合田さんに叱咤激励されながら登った例の梯子は、多分コレだろう。


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《マークスの山 単行本 438P》
先頭の救助隊員らは、素早く岩場の木梯子を登り始めた。合田はへっぴり腰の森を先に行かせて、下から叱咤した。前屈みになるな! 背筋を伸ばせ! こら、右足! 真っ直ぐ載せろ! 岩、落とすな! 前後の男らが笑い、合田も笑った。皆が自分を叱咤するために笑い、その声が強風に散っていった。 

《マークスの山 文庫本・下巻389P》
先頭の戸部が岩場に設置されている木梯子を真っ先に登っていった。合田はへっぴり腰の森を先に行かせ、下から怒鳴った。右足、真っ直ぐ載せろ! 前屈みになるな! 男やろ、しっかりせんか! 前後の男たちが笑いだし、合田も自分を叱咤するために笑い、その声が強風に散っていった。 

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八本歯梯子
八本歯の木梯子・その2。 長く続く八本歯の最後の梯子。


八本歯梯子3
八本歯の木梯子・その3。 上のその2を別の位置から撮った写真。
コレってたぶん、夏の北岳の写真だよねぇ。『マークス』では、10月20日、天候は雪。
そんな時期によくこんな所、登ったなぁ(溜息)。


八本歯
木梯子を登り終えると、こんな岩がゴロゴロ。ここを登ると北岳山頂。


北岳山頂はすぐそこ
北岳山頂まで、あと少し。 しかし、合田さんと森くんが登った北岳は遭難の危険も有り得る悪天候の雪山。
景色もこの写真とはだいぶ違っただろうし、環境はもっと厳しかっただろう。
そんな悪天候の北岳を駆け登った合田と森。凄いよ、ふたりとも。 (しかも、森は登山初心者)


北岳山頂2


北岳山頂3
北岳山頂。この場所で水沢発見。しかし、生きて逮捕出来ず・・・・。


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《マークスの山 単行本 439P》
夜明け前の、闇の中の闇だった。数本の懐中電灯の明かりの中に、天空に向かって立つ北岳山頂の道標が一本立っていた。その下に、水沢裕之は東の方向を向いて座っていた。
無線が飛び交った。《発見! 水沢を発見! 北岳山頂。死亡》 

《マークスの山 文庫本・下巻 390P》
午前六時半。黎明の薄日もない濃いガスのなかだった。天空に向かって頂上を示す道標が一本立っており、その下に水沢裕之は東の方向を向いて座っていた。 

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北岳山頂




北岳からの富士山
合田さんと森くん、そして水沢が見た北岳山頂からの富士山はこんな感じだったのか?


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《マークスの山 文庫本・下巻 392P》
水沢が真知子と一緒に一晩待ち続けた天上の朝は、ゆっくりと明けていった。
午前六時五十分。空気を裂くような一陣の突風が最後のガスを吹き払ったとき、東の空いっぱいに正三角形の巨大な山影が浮かび上がった。雲海の上には茫々たるその山しかなく、その稜線には中腹まで昇ってきた太陽の、臙脂色の光輪が広がっているだけだった。
手前にもその向こうにも何もない。天空に浮かぶ富士山一つの姿を、水沢はいま、見ていた。  


《マークスの山 単行本 439~440P》
黎明の虚空を眺めていた森が、「あ!」と声を上げた。
天空を裂くような一陣の強風が、最後のガスを吹き払ったときだった。東の空一杯に、正三角形の巨大な山影が浮かび上がってくる。雲海の上にはその山しかなく、その彼方にはまだ昇らない太陽の、かすかな来光の片鱗がかかっている。
合田は思い出した。この白峰三山の稜線に立つとき、東側に見えるのはいつも、どこまでも、空と光と、真正面に浮かぶ富士山頂の姿しかなかったことを。その手前にも背後にも、何もない。ここから望めるものは、日本一の富士一つだ。
水沢裕之の眼球は、雲海に浮かぶ富士山景を真っ直ぐに見据えていた。その魂を犯し続けてきた《マークス》から逃れ逃れてここに辿り着き、真知子と一緒に、一晩待ちわびていた天上の夜明けが、もうそこまで来ていた。 

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黎明に浮かぶ富士山
それとも、こんな感じ?



子供の頃の一家心中事件。その結果、両親は死に自分だけ生き残った水沢。
一酸化炭素中毒の後遺症が脳に残ったかもしれないことや、その後引き取られた豆腐屋夫婦の冷たい仕打ち。
「もう少し違った環境を子供時代に過ごしていたら、水沢も違った人生を歩んでいたかもしれない」
そう思うと、この結末に胸が痛みます。

せめて水沢が、北岳山頂からの富士山を最後に見れたことを信じたい。



これにて 『マークスの山』実証見聞 終わりです。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


『北岳編』の写真は、コチラのサイト様から拝借させて頂きました。
http://www.japanesealps.net/south/kitatake/happonba.html
http://morinobuna.at.webry.info/200909/article_11.html

勝手に使ってスミマセン。

著作権問題、大丈夫なのか?・・・・心配だ。




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